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◆◆◆【当店の大切なお客様の想い出】〔後編〕◆◆◆ |
2021年10月02日12:43 |
総合力を兼ね備えた山根さんは(そうでなければ、街の小さな会社の身で、日本国有鉄道〔国鉄〕の懐には入り込めないと存じます。)、旧国鉄・JRで、塗装の仕事を請け負うことも少なくありませんでした。そのせいか、山根さんは、塗料にも詳しく、いな、うるさかったです。本欄でもたびたびご紹介しましたが、山根さんが折に触れて語られた、「ペンキはサンデー(ペイント)か関西(ペイント)がいい。塗りやすいんだ。全然ちがう。」というコメントにも、山根さんの道具へのこだわりが感じられます。このコメントは、当店がメイン塗料をシントーファミリーペイントからサンデーペイントに切り替える契機となりました。 塗料の調合もお手のもので、当店でペンキの一斗缶を購入しては、それを混ぜ合わせて、「お気に入り」のカラーを作製しておりました。 建築の現状にも詳しく、当店の売れ残りの建築金物を見ては、「こういうのはいまは使わず、別の物で代替させているから、もう仕入れないほうがいいよ。」と助言してくださることもありました。 第一線を離れてからも、少しもじっとしておらず、自らがオーナーを務めるビル(マンション)の屋上に設置した鳥小屋の改修工事に勤(いそ)しんだり、マンションの管理組合に乞われて、マンションの外壁補修工事を買って出たりしておりました。 前述したとおり、山根さんのご自宅は当店から目と鼻の先にあるのですが、山根さんは、この二、三年は、自転車でこられることが少なくありませんでした。呼吸が苦しそうでした。当店の入口の重いドアを開けるのもつらそうでした。それにもかかわらず、マスクを付けないで来店されることもあったため、私は気が気ではありませんでした。マスクを差し出すべきか否か、悩みました。 山根さんが私に語られた最後の言葉は、「ドアのレールにCRCを吹きかけて滑りを良くしておかなきゃだめだよ。」でした。 母が四年前に亡くなった後、私は父と二人で暮らして参りましたが、山根さんは父のためにたびたび、煮物をこしらえては、持ってきてくださいました。じつは、父は煮物が苦手なのですが、山根さんのご厚情がありがたくてなかなかそのことを言い出せず、私が代わりにいただいておりました。じつは、山根さんも、奥さんに先立たれ、一人暮らしを続けてこられましたので、父のつらい気持ちがひときわ理解でき、心を寄せてくださったものと拝察いたします。 父はその後、倒れて要介護生活入りしましたが、奇跡的に回復して自力で店に下りていった時、山根さんは、「おお、よく動くようになったな。俺のほうが駄目なくらいだ。」と独特の表現で父を気遣ってくださいました。 山根さんは、昨年12月27日に父が亡くなった後、コロナ渦下の年末繁忙期であったにもかかわらず、お供え物の果物を携えて、かつての「盟友」であった父に会いにきてくださり、お線香を手向けてくださいました。その際、山根さんは、どんぶりにご飯を入れて箸を立てる、故人に対するお供えの「作法」などを私に教えてくださいました。 それから半年後、まさか山根さんまで失うことになろうとは、ゆめゆめ思いませんでした。 山根さん。お世話になりました。ありがとうございました。本当にお疲れさまでした。どうぞ安らかにお眠りください。 〔追記:閲覧者の皆様、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。お礼申し上げます。〕 【Google「マイビジネス」当店ウェブサイト(https://三幸金物店.com)2021/09/06付投稿の再録】 |