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◆◆◆【当店の大切なお客様への弔辞】◆◆◆ |
2021年09月25日19:32 |
当ウェブページの概要の冒頭に引用したこの言葉は、当店のすぐ近くにお住まいになられ、かつてはここに会社の所在地があった有限会社山根工業会長の山根重雄さん(「山根さん」)が語られたものです。その山根さんの訃報に、本9月1日、接しました。謹んで衷心より哀悼の誠を捧げたいと存じます。 山根さんとのお付き合いは、父が63年前に当店を開業して以来で、半世紀以上にわたります。山根さんと父は、異業種ながら、お互いに認め合いつつ切磋琢磨しながら成長していきました。商品に対しても妥協を許さず、山根社長〔当時〕の要望を受けて、山根工業のためだけに仕入れた商品なども多数存在します。山根さんは、われわれ親子にとって、家族も同然の存在でした。 その山根さんの「旅立ち」に、一つの時代の終焉を感じずにいられません。 頭のいい方でした(ご子息は東大出です)。専門の工学のみならず、電気から建築、塗装までわかる方で、旧国鉄、その後はJRの多種多様な仕事を請け負ってこられました。体も頑健な方で、そのタフネスさでエネルギッシュに仕事をこなしていくため、従業員はついていくのがやっとで、親族スタッフですら、「親父には参っちゃうよな。」といつもこぼしておりました。 仕事一筋の方で、いまは亡き奥様が「何が楽しみで生きているんだか。」などと行きつけのお蕎麦屋さんで愚痴をこぼされておりましたが、仕事が生き甲斐の方でした。 人のいい人で、頼まれるといやと言えない性格で、第一線を離れた後も、自身が入居しているマンションの管理業務にひと肌脱いでおりました。昭和の時代のある種の日本人のタイプを体現された方ということもできるかと存じます。 この2年ほどは、息を切らして喘ぎながら来店され、肺に疾患があることを窺わせておりましたので、私は、事あるごとに、「山根さん。無理しちゃだめだよ。」と申し上げて参りました。それでも、山根さんは仕事を続けてこられました。やらずにはいられないのでしょう。 最後にお会いしたのは本年5月のことでしたが、いつもと異なる尋常ならざる息遣いに、「山根さん、仕事しちゃだめだ。今日の息遣いはいつもと違う。ご家族と連絡をとって今すぐ病院へ行かなければだめだ。」という言葉が喉元までわき上がってきながら、なぜか口にすることができませんでした。あの時、店を閉めてすぐ病院へ連れて行けばよかったと後悔しております。 その後は当店にまったくお見えにならなかったため、入院治療されているのだろうと拝察しておりましたが、タフガイの方だから必ず生還してくれるとの思いもむなしく、本日、ご遺族から届けられた贈り物の熨斗紙の「志」の文字を拝見し、山根さんが奥様の元に赴かれたことを悟りました。 父が要介護生活入りしたこの2年ほどは、山根さんは、私にとって後見人(お目付け役)的存在でした。歯に衣着せぬ表現で耳の痛いことも言われましたが(ありがたいことだと思っております。)、貴重なご助言をどれだけ賜ったかわかりません。「親父より商品わかるな。」「よくそうやってヒョイヒョイと商品出してくるよな。感心しちゃうよ。」などと私のことを評してくださいました。その山根さんともうお会いできないと思うと、言いようのない悲しみが込み上げて参ります。 山根さんのご冥福を、心の限りを尽くして、お祈り申し上げます。どうぞ父と思う存分思い出話に花を咲かせてください。折を見て、山根家の菩提寺にお参りに行きたいと存じます【合掌】。 〔Google「マイビジネス」当店ウェブサイト(https://三幸金物店.com)2021年9月1日付投稿の再録〕 |